2024早春 ドイツ支部長の一時帰国
早春のとある日曜日、一時帰国中のドイツ支部長「間心(ニックネーム)さん」が稽古に来ました。
私はメールの交流を続けていたので、彼の近況はそれなりに把握していたのですが、一緒に稽古をするのは何年振りでしょうか?とても懐かしい。再会の挨拶を笑顔で交わしながら、少しだけ浦島エフェクトな気分になりました。
彼がドイツに留学したのは、今から20年以上前のこと。当初、音楽学と哲学を学ぶためと聞きました。なるほどドイツはそれらの本場ですね。ところが数年で修了し帰国すると思われた彼は長年ドイツに腰を据え、美しいドイツ人の恋人も得て、「独逸支部便り」にもあるとおり、現在は語学の講師として大学の教壇に立っています。
形に忠実な居合をする人で、渡独して「先生」も居ない中、居合術に興味のある現地の人達と共に長年コツコツと稽古を重ねてきました。今回、久しぶりにその形を見ましたが、足腰がしっかりとしていて、昔学んでいた空手の下地を感じさせることと、自己流に崩れることなく習ったことを守っていて、改めて「伝える」「伝わる」ということの意味を考えさせられました。ものの覚え方にはそれぞれの性格が出るものですが、彼は頭の中できちんと整理し、体の動きは出来る限り正確であろうとします。ですから彼に習っているドイツの人達も形がきれいです。
ドイツでの稽古の様子について、彼から聞いた話で度々思い出すのが「刀を跨いではいけないという概念を教えるのが難しい」というものです。即ちいくら日本武道に興味があっても、彼らにとって「刀(武器)は単なる道具」です。日本人のように「神格化された何かが宿っている」と感じたり、「人の顔や食べ物と同様に跨いではならない」ものなのだと知っていたりするのは、海外では寧ろ少数派なのでしょう。
こういった、我々が自然と身に付けている慣習の如きものは、それらを全く知らない外国人に伝えようとした途端に、言葉の壁によって名称を失い、不明瞭で複雑なものに変化してしまうのではないでしょうか。日本武道を学ぶのであれば「ああ、そうですかー、この国にはそういう“習慣”はありませんので私は刀を跨ぎます」ではいけないので、彼の苦労を密かに案じたものです。
さて、日本で桜が見られるのではと期待していた間心さんですが、滞在中は生憎と肌寒い日が続き、都内の桜も固くその蕾を閉じたまま、ドイツへ戻る彼を見送りました。
そして、無事に第二の故郷に到着した彼からは、マインツの街がイースターの活気に満ち溢れているという春らしい明るいメールが届いたのでした。
Photo & Text by 日狐里事務局