試し斬り
居合道上級者の方々は、「本身」を佩用して稽古されている方が多いと思います。
その「本身」(真剣)、自分の刀の切れ味、どの程度なのか?と気になります。
現代では刀の切れ味を試す方法は巻藁を斬る「試漸」に限られます。硬く巻いた畳表一畳分は人間の首に相当するとも言われます。
本身(真剣)を佩用していた「武士」がいた江戸時代には「御刀の切れ味ランキング」が存在していました。評価方法は無論、試漸によって作成されたものですが、藁束を斬るのではなく、実際に人を斬っていました。と言いましても…生きた人を斬ることは「御法度」です。処刑された「罪人」の遺体を「試漸」して、刀の切れ味を評価していました(但し凶悪犯罪を行ない処刑された罪人の遺体に限定。武士や女性の遺体は外されました)。
ちょっとグロテスクな話ですが、斬首遺体を土の台に据え、胴を斬ります。頭部のみも左右を道具で固定して斬ったようです。それぞれ、骨の多い部分、少ない部分によって難易度も違ってきますから、沢山の部位に分けて名前をつけていました。胴体も二人分、三人分と重ねたりして、例えば「二ツ胴 土壇払い」などというのは、刀が二人分の胴を斬って、土の台にまで達したことを言うのです。
試漸を担当していた人物で有名なのが、首切り役人と言われた「山田浅右衛門」です。
この罪人遺体の試漸ですが、滅多にない機会と、江戸市中の剣術道場から宗家や師範らが参加することが多かったようです。高名な刀鍛冶が拵えた「銘刀」を所有する大名や大身の旗本らは、「無礼討ち」を除き、身分の低い者や罪人(遺体も含めて)を斬ることは「不浄」な行為として忌み嫌っていたため、山田浅右衛門に謝礼を払って、その「銘刀」の試漸を依頼していました。ちなみにこの「山田浅右衛門」というのは、首切り役を務めた山田家の代々の当主が名乗った名前です。例えば「安政の大獄(1859年)」の時に吉田松陰を斬首したのは七代目浅右衛門でした。
試漸に供された「銘刀」は、僧侶による「お清め」を行ない、研ぎ職人に出して刀身を研ぎ、骨まで斬ったために刀身に生じた僅かな歪みを矯正してから、所有者に戻されました。
これら「銘刀」の切れ味は…
「最上大業物」「大業物」「業物」(「業」という漢字は「わざ」と読みます)と言う名称で「ランキング」されました。
この「試漸」のランキングにより、「銘刀」の相場価格が左右されました。現代の値段で言うならば、大体300万円から1,500万円くらいのようです。
新選組の局長「近藤勇」が佩用したと言われる銘刀「長曾根虎徹」は、本物は「最上大業物」にランキングされ、現代では~約1,500万円くらいだそうです。副長の「土方歳三」が佩用した「和泉守兼定」ですが、拵えた刀工により「最上大業物」や「大業物」とランキングにバラつきがあります。現代の相場価格ですが…「土方歳三」が佩用した十一代目が拵えた和泉守兼定は約800万円です。「之定」(のさだ)と呼ばれた三代目が拵えた和泉守兼定は、「関の孫六」「正宗」と並ぶ「名刀」で、相場価格は約1,000万円です。
ところで新選組に登場する名刀と言えば「沖田総司」が小説やドラマで佩用している「菊一文字則宗」、これは後鳥羽上皇が選び抜いた刀工に打たせたという、鎌倉時代を代表する名刀「一文字則宗」からきています。上皇は自らも鍛刀し、それは「菊の御作」などと呼ばれて珍重されました。則宗は上皇の紋章である菊紋を銘に入れることを許され、それが「菊一文字則宗」というわけです。往古の名刀をあの薄幸の剣士沖田総司が佩用していたとあればロマンをかき立てられます。しかし、残念ながらそれは、司馬遼太郎の小説に描かれたフィクションの世界です…。